多数の雑誌で活躍中のネイリスト 高野尚子さんのインタビュー

毎日更新!2024年12月31日 (火)
トップネイリスト 高野尚子

社会人当初の目標は「腰掛けOL」

35歳でネイル業界のトップに君臨。15歳の頃から現在まで20年エステ通いを続けているそうですね。

エステに行き始めたのはコンプレックスを解消するのが目的でした。思春期ってどうしても太り始めるワケですけど、もう隠しようがないというかむき出しじゃないですか。成長の過程だし、仕方ないんでしょうけど、 気持ちの部分でナイーブな時期でもある。それで当時付き合っていた彼氏に「太い」っていわれたのが、すごいショックで…。母に行かせて欲しいと頼み込みました。半分は母に出してもらって、あとの半分は自分でバイトで稼ぎました。 以来、やせることや美容に関しては、いろんなことを試しています。

高校生ぐらいのころなら、本などを見て家でダイエット法を試すとかが普通だと思うのですが…。やはりそんな時期から美を追求していたことが、いまの仕事の原点になるのでしょうか。

いえいえ、健康や美容に興味はありましたし、短大で栄養学なんかを勉強しましたけど、当時は就職難で、手当たり次第にいろんな会社を受けました。たまたま美容系の商社に受かったんですけど、 狙っていたのは「腰掛けOL」です。部署の希望も第5希望まで「事務」って書いたくらいです。ところが、なぜか総合職の営業部へ配属になったんです。もういやでしょうがなかったですよ。

腰掛けOL、ですか。いまのバリバリと仕事をしている姿からは想像もできませんね。

当時は髪の毛をクルクル巻いて、派手で会社でも浮いていたと思います(笑)。営業部ではまず、慣れる狙いもあってか内勤からのスタートでした。ただ、そんなルックスだったせいか、出入りの業者や問屋の社長さんなんかがいろいろと話しかけてくれて仲良くなりました。おかげでいろんな情報を教えてもらえました。私自身も健康や美容に興味があったので、社販でかなり買っていました。おそらく一番買っていたと思います。だから社内で誰よりも商品知識を蓄えていたので、お客様からの問い合わせやクレームの電話は全部私に回ってくる。そんな毎日だから自然に知識が豊富になり、人脈も増えてきて、いろんな人とのかかわりが構築されていく。その内に仕事がどんどん面白くなってきました。それで実は、当時付き合っていた彼と式場まで決まっていたんですけど、キャンセルしました。

いつの間にか仕事が面白くなり決まっていた式場をキャンセル

結婚キャンセル…。まさに一大決心ですね。

せっかくここまで積み重ねてきたものが「結婚してまたゼロになる」、と思うとすごくもったいなく思えて…。「女性ってこういう時に全てを失うんだな」ってしみじみ思いました。それで何か手に職をつけないと、という意識が強くなりました。 ネイリストになろうと勉強を始めたのはそのころからですね。そういうこともあって会社は辞めました。みんなが応援してくれる形で本当にいい形で円満に退社させていただきました。

それからいよいよネイリストとして第一歩を踏み出したのですか?

転職先はホテルのエステでした。入社前にネイルスクールに通おうと思ったんですが、実は私、爪の形にコンプレックスがあって、そういう爪の人がネイリストになっちゃいけないと思っていたんです。ところが、人工爪をつけたらすごくきれいになって衝撃を受けたんです。「これだっ」って。それから200万円で学校に通って真剣に勉強しました。そうしてエステで働き始めたんですが、何かが違っていたんです。エステだと施術しているとお客様が寝てしまう。人としゃべる機会がないんです。一方でネイルの方では手を取っていろいろとお話ができる。エステってそうやってお客様といろんなお話をしながら心から心地よくなってもらうもの、と私は思っていましたから。「エステじゃなくネイルかな」。その頃に明確にそんな気持ちが芽生え始めていましたね。

「ネイリストで食べていけるの?」の声を見返したかった。

その辺りから一気にカリスマネイリストとしての階段を駆け上がったのでしょうか?

結局そこのエステを辞め、それからはいろいろな人の後押しを受けながら、とにかくネイルの仕事を無我夢中でやりました。初めて明確な目標ができて一気に打ち込めた感じですね。フリーの時期もありましたし、新たにネイルサロンを展開するということで声をかけていただいて幹部として丸4年、ゼロから8店舗の立ち上げにかかわったりもしました。接客はもちろん、スタッフの教育、タレントさんの専属としてもやっていましたのでスケジュールはもうビッシリ。当時の睡眠時間は平均2時間でした。そんな時、突然、アメリカのOPIからスポンサードの話が来たんです。掲載されていた雑誌をみて、笑顔が良かったからという理由でした。

すさまじい忙しさと展開ですね。好きでやっていたこととはいえ、よく体が持ちましたね。

私が「ネイリストになる」といったとき、みんなに言われたのが「食べていけるの?」でした。実際、最初は全然収入がなかった。でも「半年後には絶対稼いでいる」と思って、必死で頑張りました。何とか見返そうと、その一心でしたね。自分の時間を削れば、その分がお金になるわけですから。

反骨心と気合で収入もキャリアもアップ。そして、いよいよ独立となるわけですね。

幹部として働いていたサロンでは、本当に自由にやらせてもらっていて、すごく恵まれていました。ただ、あと3年で30歳というときに「本当にこのままでいいのか」、と自問自答したんです。でもこのままここにいたと仮定してもなんのビジョンも沸かなかった。それでも「独立」というのは自信がないし、全然頭になかったんです。最終的には、周りの人たちの温かい支えもあって背中を押してもらった感じですね。

ネイルサロン「ネイディーン」の誕生ですね。

独立を決めたといってもスタッフを揃えなきゃいけないし、物件も必要。なにより資金が必要ですけど、当時私にお金を貸してくれる銀行はなかった。本当にいろんな人の支えで、独立できたと思っています。「ネイディーン」という店名は、実は当時いらっしゃったOPIの営業部長の名前。彼女はいつもハッピーといっていました。ネイリストがハッピーじゃないとお客様に対していい仕事は出来ないということなんですね。それでみんながハッピーで気の合うアーティストグループにするという意味合いも込めて彼女の名前を拝借しました。

「技術は愛情」だと私は考えてます

キャリアアップを目指す人や美容業界での就職を目指す人にアドバイスを頂きたいのですが

自分への自己投資を惜しまないこと。何か学びたいというOLさんはたくさんいますけど、いざスクールに通うとなると、「結婚のために貯金は残しておきたい」とかの理由で安いコースを選んだりする人が多い。でも本当に身につけるならいい道具やコースを選ばないと無理です。何かを得ようと思うと失うものも当然あります。でも、そういう投資を惜しんでいたら、結局はなにも得られないんです。援してくれる形で本当にいい形で円満に退社させていただきました。

15歳からのエステ通いに始まり、社販での商品購入、200万円のネイルスクールなど興味のあるものには惜しみなく「投資」してきた高野さんだけに説得力がありますね

投資ですからちゃんとやれば、キチンと返ってきます。いまも私はいろいろなことに自己投資をしています。それからもうひとつアドバイスするとすれば、目標をみつけてそれを達成する。達成癖をつけるんです。私の場合は、自分の打ち込めるものがなく悩んでいたくらいですけど、その反動でネイルと出会ってからはグッとのめりこみましたから。

最後にネイリストを目指す人に何かメッセージをお願いします。

ネイリストは、人と人の気持ちがつながりあえる職業。どんな人にも喜びを与えられるすばらしい仕事です。例えば、芸能人でもセレブの人でも手を握っていると不思議と心を開いてくれる。ネイルをしたことのないお年寄りの方でも施術さしあげると、進んで人に見せようとする。そういう力を持った本当にすばらしいお仕事がネイリストだと思います。

CARNA(カルナ)

高野尚子ネイルサロン『nadine nails』

「いつも目にふれる指先が、心の中にささやかな幸せを運んでくれるはず」というコンセプトで、その人らしさに合わせた上品なネイルデザインを提供してくれる。 シーン合わせたデザインも得意とし、安っぽいネイルにはもう飽きた、という人や本物のネイルアートを求める人には是非訪れて欲しいサロン
http://www.nadine.jp/

高野尚子インテグレイテッド ネイルカレッジ

自分のマインドやノウハウを伝えて、ゼロからキチンと教育したい、という思いやいろいろな縁が形になったというスクールは各種コース有り
http://www.tnc-nadine.com/

Voice―夢のカタチ― Backnumber

  • スピリチュアル エステティシャン
    鈴木サリ
    正直言って、セラピストになりたいと思ったことは一度もありませんでした。それよりもむしろ夢見る夢子ちゃんで・・・
  • ヘアサロンオーナー
    美香
    この世界に入った理由は、美容室への不満だったんです。いろいろなヘアサロンに行きましたが、疲れた女性を癒してくれる・・・
  • トップネイリスト
    高野尚子
    エステに行き始めたのはコンプレックスを解消するのが目的でした。思春期ってどうしても太り始めるワケですけど・・・
  • カリスマヘアアーティスト
    川畑タケル
    むかしから海辺でやりたいとは思っていた。中学時代にサーフィンをはじめて30年。海は僕にとって基準。いくつかの候・・・
  • 世界一のエステシャン
    今野華都子
    2004年の第一回LPGインターナショナルコンテスト(フェイシャル部門)で日本最優秀賞、次いでフランスでの3ヶ月の審査の後・・・